科学としての心理学:3つの方法論

心理学とは行動や心の科学である、とよく言われます。しかし「科学」とはそのそも何でしょうか。科学哲学史を振り返れば色々な議論があるわけですが、ここでは最近たまたま僕が読んだブログをもとに、特に心理学における科学性について、考えてみたいと思います。著者の Noah Smith さん、僕もよく知らないのですが、もともとStony Brook 大学のファイナンスの研究者で、現在は Bloomberg View というウェブ雑誌?のライターをやってる方のようです。よくまとまっていると思うので、まずは以下、これをもとに話をします。

Smith さんによる分類だと (まぁ他にも同様の意見はいくらでもあるので、彼の専売特許ではないですが)、科学は方法論的に三つに分けられるとのこと。すなわち (1) History (2) Empirics (3) Experiments で、(1) 歴史研究 (3) 実験研究のふたつはいいんですが、(2) は訳しにくく、ここでは伝統的な呼び方を使って、(2) 観察研究としておきます。それぞれの性格は次の通り。

(1) 歴史研究
出来事を記述することです。とにかく前例を記録することで、その出来事が生じた理由や生じるだろう頻度は分からないにしても、とにかくそうした出来事が「起こり得る」ということを示すことが可能です。

(2) 観察研究
歴史的記述と違って、類似した観察を何度も何度も繰り返し、統計学を用いてそれら諸観察の間にどういう関係があるかを探ります。因果関係の特定は (因果推論などの手法を用いない限り) 無理で、相関研究に留まります。

(3) 実験研究
最後の実験研究では、観察時の諸条件を統制することで因果関係を特定します。ただし得られた因果関係が、実験環境以外でどれだけの意義を持つのか、すなわち外的/生態学的妥当性は不明確です。

Smithさんは、これらのうち、実験研究はなかなか成功しないが、成功した場合に得られる知見の含意は大きい。反して、歴史研究はいつでも成功する (とにかく何かを記述することはできる) が、その因果関係は分からない。そして観察研究はそのちょうど中間、という風に位置付けています。また、実験研究による知見が、歴史研究や観察研究で得られる知見に適用され、幅広い外的妥当性を持った時、その研究は最強の科学になる、と考えます。例えばガリレオの知見がニュートンによって天体運動に応用された場合などです。これは加速度に関する地上での実験研究結果が、歴史あるいは観察研究に分類可能な天体の観察記録に適用されてうまくいった例だと言えます。結果はご存じの通りで、人類を月に送り届けました。

Smith さんはここで、観察研究は、この三つの中で、極めて新しい方法論であることを指摘します。歴史学は何千年も受け継がれてきたし、実験研究も、少なくとも欧州の科学革命から数百年が経過しています。それに比べて観察研究を見てみると、まず統計学は100年強ほどの歴史しかなく、さらにコンピュータを用いた大量の計算が可能になったり、また大量の観察データを手に入れることができるようになったのは、このわずか数十年の話です。観察研究が、まだまだ多くの研究者に科学として認められていない理由は、こうした歴史の浅さにあるのではないかと Smith さんは提案しています。

あと重要なのが「理論」の位置づけです。ただし、例えば法則と理論の違いとかの話に踏み込むと、どんどんややこしくなっていきそうなのでやめておき、漠然とした定義のまま話を進めていきます。Smith さんも触れているのですが、理論は、おそらくですが、歴史研究、観察研究、実験研究の3領域を解釈してつなげていく役割を持っており、類似した観察への一般化 (外的妥当性) を超えて、より類似度の低い観察への一般化を可能にするのだろうと思います。心理学における理論の性格や役割についてはたくさんの議論がありますが、三つの研究方法を統一していく過程で極めて重要な役割を担うだろうことは間違いないような気がします。

以上のような「科学」の扱いは、科学哲学で伝統的に言われてきた科学性の定義、例えば反証可能性とかリサーチ・プログラムなどといった考え方と比べると随分違うアプローチだと思われます。しかしながら、現状の心理学の総体を見て、それをひとつの科学として考えるにあたっては、極めて有効なまとめ方であるように思えます。以下それを見ていきましょう。以上の分類を心理学に当てはめるとどうなるでしょうか。

(1) 歴史研究 = ケーススタディ
心理学における歴史研究とは、ケーススタディや質的なインタビュー研究などに当たるように思われます。例えば臨床場面などで、クライアントの背景や症状、主観報告などを正確に記録していくことは、精神疾患を理解する上で最初の重要なステップとなります。また応用的な領域では、マーケティングで対象購買層の方を呼んで行うインタビューなども、これに当たるかと思われます。認知研究では、損傷のある脳部位の機能を知るために、そうした損傷を持つ方の逸話的記録を集めることから、研究の手がかりとすることなどが当てはまります。

(2) 観察研究 = 質問紙調査
観察研究には、質問紙を用いた調査研究が該当するでしょう。臨床では診断に用いられる質問紙尺度を筆頭に、多くの研究が行われています。例えば自閉症傾向を測定すると言われる AQ 質問紙などがあります。またマーケティングでは購買層の態度を測定するため、近年ではウェブ経由の質問紙調査が日常的に行われています。認知では、例えば IQ とワーキングメモリの相関についての研究などがこれに該当するでしょうか。

(3) 実験研究 = 実験心理学研究
ですが、これは文字通り実験心理学に対応します。例えば臨床系のもの挙げれば、自閉症の診断を受けている人と、そうでない人との間でどのように認知方略が違うのかなどを、諸条件が統制された実験室内での実験を通じて検討する、といった研究があります。マーケティングではいわゆる A/B テストがこれに当たるでしょう。認知研究は、そのほとんどがこの実験研究に該当します。

それぞれの方法論の問題点も、上記 Smith さんの性格付けの通りだと思います。質的インタビュー研究は確実にひとつの知見を生み出しますが、例えばある疾患が生じた理由、ある商品が好かれる理由、特定の脳部位への障害が特定の認知機能を損なう理由、などについて明確な知見を生み出すことは難しいと思われます。

他方、実験研究は、実験室内で因果関係を推定することは可能ですが、それがどこまで一般化可能であるのか、例えば自閉症の方の認知傾向は日常生活の様々な場面でも本当に確認できるのか、一部のモニターでテストしたA/Bテストの結果が本当に一般の顧客まで適用可能なのか、統制された実験状況である認知効果が特定されたとしても、それが本当に日常生活に影響を及ぼすようなものなのか、といった問題については、よく分かりません。

最後に、質問紙を用いた調査研究は、やはりその中間に位置付けられるものだと思われます。因果関係についてはやはり統制された実験を行って確認する必要がありますし、個々別々のケースをうまく説明するためには、より詳細な検討が必要な場合がほとんどだと思われます。

心理学における観察研究について興味深いのは、上記のように、近年の統計学的手法の発達といわゆるビッグデータの活用によって、まったく新しい研究の方向性が出てきている点です。一番わかりやすいのは、ビッグデータと機械学習ないしは AI を用いた新しいマーケティング手法の登場ですが、たとえばそれ以外でも、臨床領域ではネットワーク理論に基づく症状の分析などが出てきたり、実験研究ではメタ研究という新しい研究スタイルの提案なども行われています。

以上のように、Smith さんの提唱する科学の捉え方を心理学に当てはめると、現行の心理学の全体を、ひとつの科学イメージのもとにうまく捉えることができるように思われます。他方、従来の科学哲学は物理学などを典拠にして発展させられてきたために、ケーススタディや質的研究や質問紙調査などを「科学」としてうまく扱うことができないように思われます。そうした意味で、この枠組みは心理学を科学として考えるにあたって、極めて有効なのではないかと僕は考えます。心理学には3つの方法論があり、それぞれに「科学的な」研究方法が存在し、そのそれぞれが重要なデータを提供し、相互に補完し合うことで「科学としての」心理学を進展させていくというイメージです。こうした考え方を、特に心理学を学び始める最初の時期に持っておくと、心理学が全体として、どのように科学的に進んでいこうとしているのかがよく理解できるのではないかと思います。

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